2011年4月15日金曜日
札幌時計台の〜 の続き
札幌時計台の廻りは無人状態
2011年4月8日金曜日
三浦綾子記念文学館・音楽「ひかりと愛といのち」
2011年4月6日水曜日
舞人「高 玲子」
人間の基本情動の中に「愛」は入っていない。
なぜか。
「愛」の形は様々であり、いろいろな情動が組合わされることによって、愛という情動は形成されるからである。
幸福な愛は勿論、心配や悲しみの底を流れている愛、嫌悪感の中に存在する愛、嫉妬やねたみを生みだす愛、快楽としての愛、神へ(から)の愛、愛がある故の憎しみ、母と子や兄弟に代表される肉親愛など様々である。
相反すると思われる情動の中に存在する「愛」、「愛」ゆえに悲しみや憎しみが生まれる人間の性、これらを言葉ではなく舞うことで表現し続けている舞人がいる。
舞人「高玲子」である。
腕や手は勿論、指先・爪の先までが舞う舞人であり、空間をも舞人に寄り添い舞人の一部となる。
「面」をもちいての舞であるが、微笑みの面から憎しみが溢れ、悲しみの面からは幸せがこぼれ落ち、面は刻と共に表情を変え、観る者を異次元の「愛の世界」へといざなう。
舞人「高玲子」によって描き出される愛の姿は、観客と呼ばれる我々の過去や現在の己の姿を彷彿させ、自己の奥深い内面へ到達し魂を揺さぶるのである。
揺さぶられた魂は自己解凍を誘発し、深く心の奥に閉ざされていた意識が表出し始める。
舞人「高玲子」、時空間を共にする人々を自己の精神内界へいざなう舞人である。
2011年4月5日火曜日
中江紀洋展「北斗の彼方へ」
先日、北海道立釧路芸術館を訪れ、彫刻家中江紀洋氏の作品に久しぶりに出会ってきました。
中江氏は、本協会の理事であり舞踊家の高玲子氏と親しく、半世紀以上の友人であります。
20年程前に高玲子氏が、阿寒の草原でおこなった中江氏の作品展(野外)で舞うというので出かけた折、中江氏と彼の作品に初めて出会い、魂が大きく揺さぶられたことを忘れられません。
その数年後、北海道立帯広美術館での彼の作品展にも出向き「高玲子氏の舞」「私の音楽」「中江氏の彫刻」と3者によるコラボレーションを楽しんだ次第です。
その時、友人の歯科医師から調達したという歯形を用いた作品達の前では、様々な音が・様々な物語が・様々な場面が・様々な感情が走馬燈のように廻りだし、動く事が出来ませんでした。
北海道音威子府の彫刻家「砂澤ビッキ」氏の作品も、初めて彼の作品を前にしたとき同じように感動で動く事が出来ませんでした。
晩年、居酒屋で出会ったときの彼のギョロリとした目を忘れることが出来ません。
しかし同じ彫刻家であり、その作品達に魂が揺さぶられるのですが、2人の作品達はそれぞれ違う揺さぶり方をするのです。
大まかな言い方をすると「砂澤ビッキ」氏の作品は、大地に、草木に、大陸に引きずり込まれていく感じに対して、「中江紀洋」氏の作品は、空、宇宙、永遠(とわ)に導かれていく感じなのです。
砂澤ビッキ氏は「地」であり「地球」(アース)であり「太陽系」、中江紀洋氏は「海」そして「異次元」「過去・未来」なのです。
是非、お二人の作品に接し、魂を震えさせて下さい。